school-of-books’s diary

とある小説、論文、音楽の一節、、、から筆者が何か意味を見出したものを書いていきます。

小説断章感想文1 -サガン、心の青あざ、

本文引用部分p9〜

「そのうえ、民衆という言葉自体が侮辱的だという事も知らず、1人の男プラス1人の男プラス1人の女プラス1人の子供プラス1人の男、などなど。各自がその深遠な政治的要求をも含めて全ての点において違っていること、そしてたいていは、手段がないため各自はそれを聞くことも見ることも読むこともできない、ということを知らないのだ。サルトル、彼は不器用に、正直に、自分の樽によじ登りながら、恐らく理解したのだ。(サルトルの政治運動を指す)

各自の内部に話しかけたディオゲネス(紀元前3世紀のギリシャの哲学者)。こういう人たちこそが優しく、その優しさの知性をもっている、そして人びとはそれを物笑いにするのだ。だが、要するに、彼らはそんな事は無視している。物笑い、≪物笑いにされる≫ということは、我らの時代、鋭いエスプリにとって素晴らしいことなのだ。すばらしく、そして不安…なぜってすばらしいのだから。恐らくスタンダールバルザックもそういう事には堪えられなかったのだろう(もちろん、その作品の中においてだが)。

こういったテーマにおける唯一の預言者はドストエフスキーだった、私にとって。」

 

感想

この文章は小説と独白を交互に繰り返す文である。最初の独白部分を引用した。その言葉を借りて感想文を書こうと思う。

 

感想。テーマ、優しさの知性

振り返ってみるに、

私はこれまで小さな共同体ではあるが、幸運にも割と広く、サガンのいう政治的要求をボトムから聞くことのできる人であった。私に優しさの知性はあったのだろうか。物笑いにされる事に堪える忍耐がなかったからか、自分の事が出来ず、人のことばかりやっていたのだろうと思う。その時に問題になるのは私が優しさの知性を持って人と接していたかということだ。

 

サガンを読む時に連想するのは幼い頃の母の像である。具象と偶像との狭間を揺れ動くかのように、記憶の中で、母という語の持つイメージと私の経験としての激情家である母の像が重なる。

私の母は良くも悪くも正しいことを自身の経験のうちに持っている人であった。

女性は、1つの経験を、普遍化した知恵に変えるというような名言があるが確かかもしれない。

過去を振り返っても仕方ないという声もあるかもしれない。しかし、それならば、なぜプルーストは読まれ続けるのだろうか。

過去にしか自分の存在の拠り所はないとして、現在にしか自分の選択が行えないとして、未来を創るには、現在から過去を絶えず見つめなければならないだろう。

 

優しさの知性とは何か、を掴もうとするとき私は過去の記憶から逃れられない。そして重要な要素を占める母の記憶には続きがある。

正しい事に厳しかった母が徐々にだが、色んな人との対話から優しく見守るようになった。何かやるべき事があると密かに行動していた。もしかしたら私という存在もその目に大きく映っていたかもしれない。

自分の眼を信じなさいとはっきりと口にした母が、色んな物事人を映して、優しくなったのだろう。それまでは鬼のように怖かった。文字通り…

 

優しさの知性とは私にとってはこの過去の出来事が大きい。岐路に立つ時には私はこの記憶に縛られる。鬼のような眼と仏のような眼である。選択を迫られた時、そこでのつながりと、私に向けられた様々な想いの中で、私は無意識にこの眼を選び取っていたと思う。実践できたかは甚だ疑問であるが…

今でこそこうして言葉にできるが、言葉にできるというのは些細な事なのかもしれない。

しかし、こうして言葉になると、個々人にとっての優しさの知性と呼ぶべき記憶や体験が呼び起こされるのではないだろうか。物笑いにする、≪物笑いにされる≫、そんな時でも身体に染み付いたものが、自分にだけ現わせる何かを選び取らせている。

私の記憶の一片を載せたこの思考と感情から各々感じたことを過去まで遡って思い返してみて欲しい。